激動の大晦日

曇り今日は大晦日、毎年恒例にしている42kmジョグに行くため、6時50分くらいに起床。 朝ごはんは菓子パンを用意してあるのでそれを食べる。 昨晩お酒飲んだからか、体が乾いている感じがしたので、水分もいつもより多めに飲んでおく。 補給食は100円のカステラを購入してあるが、このままじゃ大きくてポケットに入らないので、全体重をかけて圧縮して、体積を8分の1くらいにした、これでポケットに入れることができる。
服装は、半袖Tシャツに長袖の黄色ウィンドブレーカー、下は長ズボン。 靴下は普通の白い5本指で、ニット帽と手袋。 いつも走る格好と同じ。 最近は夜もハーフパンツで走っているが、ズボンが長くなったくらい。 靴はPUMAのスピードライト2。 持ち物はスマホと現金1,300円くらい。 最近全然使ってないけど、ジョギング用のコンプレッションタイツは使用しない。

目標はキロ6ペースの4時間12分くらいでいけたらいいなと思っていたが、開始数キロでその目標は諦めることになる。
今日は気温が3度くらい、風もあってコンディションが悪い。 長丁場なので、途中リタイアしないようにしなくてはならないので、無理はしないようにしなくては。
出だしは設定のキロ6を数秒切るくらいのペースで走ろうと思ったが、最初の1kmが5.51だったが、そこから12km地点まで、一度も5分台を出せず、6分前半で推移していく。 とりあえずキロ6は頭から忘れることにしよう。
走っていても全然暖かくならず、風もあって非常に走りにくい。 10km地点くらいに空港公園の駐車場があるので、そこで一度トイレに行く。
13.4km地点の自動販売機でホットのミルクティーを飲みながらカステラをかじって補給。 いつもここで休憩していて、6分くらい立ち止まって休んでいた。

ひたすら道を走り、柏原渓谷の林道へと進んでいく。 この林道は入口から峠までが8kmくらいあって、いつも5台くらいは車に遭遇するのだけど、今日は1台しか遭遇しなかった。
コロナの影響でキャンプ場やロッジも全然人が来ないのだろうな。 なかなかペースも上がらないし、風と緩やかな上り坂に苦労しながら距離を踏んでいく。

26kmくらいで峠に到達。 このコースの上り基調がここで終わる。 ここから31km地点まではひたすら下り坂。 26km過ぎた辺りでお腹が空いていたのでカステラ食べながら数百メートル歩く。
31km地点で国道193号線の谷岡食堂の付近に出てくる。 ここの自動販売機でホットのほうじ茶を購入し、ストレッチしながら体を潤わせてカステラも食べる。 カステラはまだ3分の1くらい残っている。

ここから国道193号線をひたすら北上していく。 交通量が多くなってポッドキャストが聞きとれなくなるので、ここから先はAmazon MusicでYOASOBIをかけて、それを聞きながら走っていた。
35km地点のファミリーマートはパス、そのまま家まで寄らずに帰ろうかと思っていたが、39km地点のセブンイレブンの誘惑に勝てずに寄ってしまった。 ナナチキとコーンポタージュを購入して歩きながら補給する。
ラスト3kmはもうペースが上がらないが、そのまま何とか走ってゴール。
ラスト5kmで左膝が痛くなってきたのだけど、長距離走って膝が痛くなったのは久しぶりだ。 日頃のトレーニングというか、長い距離の耐性がなくなってしまったのだろうな。 やはり日々のフルマラソンのレースに参戦するというのは、非常に良いトレーニングになっていたことがわかる。 レースから2年も離れているので、次のレースが非常に心配。
疲れたは疲れたが、死にそうなほど疲れたわけではなく、このペースでいいのならあと10kmくらいは走れそうな感じもしている。
5.51, 6.06, 6.00, 6.05, 6.23, 6.13, 6.16, 6.30, 6.18, 6.19,
7.09, 5.51, 6.22, 12.47, 6.49, 6.29, 6.17, 6.29, 6.49, 6.57,
6.44, 7.08, 7.35, 7.03, 7.04, 10.39, 6.22, 6.16, 6.17, 6.15,
10.18, 6.26, 5.57, 5.49, 5.47, 5.46, 6.19, 6.17, 9.57, 8.06,
6.16, 6.15
と、42.2kmを4時間50分41秒で、キロ6分52秒ペースだった。

家に帰ったら子供たちが「じーちゃんが死にそうだからママが出ていった、電話して」というので、風呂に入る前に電話する。 自転車で転倒して救急車で運ばれたとのことで、もうだめかもしれないと言っていた。
また連絡すると言われたので、汗を流して湯船に浸かっていたら数分で「亡くなったので病院に来て」との連絡があった。 疲れを癒やす暇なく着替えて出発することになったけど、汗を流せただけでもよかった。

中央公園の南にある「KKR高松病院」というところに運ばれていて、救急処置室の前では義母と妻が憔悴した感じで座っていた。 病院の先生や葬儀社の人から説明を受けていて、これから検視が入るらしい。
状況を聞いたら、義父と義母が自転車でどこかに出かけようとしていたのだけど、途中で「気分が悪い」と家に引き返すことになった。 家の前まで来たところで、胸が痛いと義父がうずくまって、そのまま自転車とともに転倒したらしい。 すぐに救急車を呼んで運ばれたが、そのまま亡くなったとのこと。 死因は心筋梗塞。 前から医者には手術を受けないといけないと言われていたようで、来月も病院で診てもらう予定だったとのことだった。

倒れた場所が外だったので検視が入るらしいのだけど、検視の警察官は結構厳しそうな人だった。 殺人とかそういう可能性を潰すためだろうけど、義父の収入、財産、保険金など聞かれていて、「歯がないのに入れ歯が見当たらない」とか、入れ歯盗難の可能性を言ってきたり、そもそも入れ歯はしてないらしいのだが。 財布も入ってないとか、むき出しの現金だけ入ってるのは何故かとか。
このように外で倒れたように見せかけた殺人、保険金や財産目当てのものとかがあるのだろうか。 まぁあるからこういうことを聞いてくるのだろうな。
検視は1時間半くらいかかって、ようやく終了した。

同時に葬儀社の人との打ち合わせをやっていたのだけど、葬儀社は病院が手配したのかな? 自分が病院に到着した時には既に来ていたのだけど、迅速すぎる。
故人の意向で葬儀などは一切しないということになっているらしく、火葬と火葬までの間の遺体安置、病院から葬儀社、葬儀社から斎場までの車代の説明などを受けていた。
どこまで言われていたのかはわからないが、写真も白黒、骨もいらないとか、けっこうドライな感じだった。
高松市の市民葬B型というので、143,000円。 それにさっきの車代や明日元旦は斎場が休みなので2日まで遺体を保管するためのドライアイス、添える花など葬儀社の取り分が130,000円くらい。 合計27万円くらいの見積もりだった。 何もしない火葬だけでも、けっこうな金額になるのだなと思った。

処置室で遺体と対面したが、普通に寝ているだけのように見えた。 自転車で転倒したときに頭を打ったのか、頭にはガーゼがつけられている箇所があったが。
遺体は葬儀社へと運ばれることになって、病院のスタッフや葬儀社のスタッフと共に、地下から車に乗せて見送った。 自分たちもこれから葬儀社へと行く。

葬儀社は栗林駅の近くにある「公益社」という場所。 着いたら既に控室の案内板などが出ていた。 ものすごいスピード感だ。 控室は8畳くらいの和室で、そこに遺体が安置されていた。
皆で遺体を拭いたあと、棺が運ばれてきて、その中に入れられて、布団みたいなのをかけられて、鼻の穴と口にガーゼが詰められる。 榊の葉かな? 水で葉を濡らして、口元を潤わせる儀式みたいなのをして、ドライアイスを入れ棺の蓋が閉められる。
控室は寝泊まりできるみたいだが、誰も泊まらないので施錠してくれるとのことだった。

葬儀社でのことが終わって、義母の家に着いたのが16時過ぎだった。 42km走った後で非常にお腹が空いていたのだけど、食べる時間もなくこんな時間になってしまった。
早いがおせちを食べさせてもらってお腹を満たす。 で、17時半くらいに出発して自宅に向かう。

さっきおせち食べたばかりでお腹が空いていない人もいるが、夜ご飯は年越しそばにする予定だった蕎麦を食べた。
夕飯食べたばかりなのに、全然お腹がいっぱいになっておらず、インスタントラーメンを作って食べてしまった。

とりあえず一段落して、子供たちは大晦日なので夜更しをしようとしていたのだけど、22時位になって義母が血圧が全然下がらずに夜間救急病院に来たと連絡があり、妻と行くことに。
夜間救急病院は高松商業高校と高松中央高校の間にあるのだけど、駐車場に入ったら白衣の医師が「ここに車を止めてください」と案内してくれて要件を聞かれた。 新型コロナウィルスの対応施設らしく、中には入れてもらえなく、他の患者の家族も皆車で待機のような感じだった。 1台はコロナが疑われるような症状の人がいたらしく、青い防護服を着た医師と看護師、白衣の医師がやってきて車の窓から会話したり検査したりしていた。 そして医師たちが病院の入口に戻って、中にはいる前に青い防護服や手袋、マスクやフェイスシールドなどを全て袋に入れて処分していた。 1回1回こんなことをやっているようだが、コロナ対策は非常に大変そうだった。
しばらくして義母が戻ってきた。 薬で血圧を下げたらしいが、210くらいまで上がりっぱなしで全然下がらなかったらしい。
こんな状態なので、今夜は妻が泊まっていくことになり、自分は一人で23時過ぎに帰宅。 子供たちはまだ起きていた。 自分は非常に疲れていて、起きていた三女を連れて一緒に寝ることになった。
いつ寝たのかはわからないが、10分もかからず寝たと思う。

もともと正月はどこにも行く予定がなく、陸上しか予定がなかったのだけど、その予定も白紙になった。
自分は誰かが亡くなった経験を2度しかしたことがなく、1度目も2度目も祖母だったのだが、もともと親戚づきあいが薄いので、全然悲しくもなく、何もせずただ終わったという印象しかないし、よく覚えていない。 一番最近でも2004年くらいだったと思う。 なので、実質初めてのような感じなのだが、どう立ち振る舞ったらいいのかがわからなかった。 多分、無用な声がけは不要で、そっとしておくしかないと思うのだが。 大丈夫か聞かれても大丈夫じゃないだろうし、慰めや元気づけることもできないし、それには時間も必要だと思う。

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