エスター、クライマー パタゴニアの彼方へ

晴れ三女を保育園に送っていった後、「珈琲館RODAN」へ。 モーニングを食べながら本を読む。 本は明後日返さないといけないのだけど、全然読めていない。 3冊のうち、まだ2冊目の半分くらい。 この2冊目は最後まで読みきらなくてはいけない。
モーニング

今日は午後からメチャメチャ暑かった。 扇風機を「中」にして暑さをしのぐ。

夜はジョギングへ。 今日は全然思うように走れなかった。 すぐに息が上がるし、足を前に出してもスピードが出ない。
6kmを29分12秒で、キロ4分52秒ペースだった。

その後は映画を2本見る。 まずは「エスター」。 2chまとめサイトの「ラストで「すげええええええええ!!!!!!!!!!!!」ってなる作品」で紹介されていたもの。 パッケージには「この娘、どこかが変だ」と文字と冷血な少女のどアップの写真。 このパッケージだけでも不穏な感じがする。
見ていたが、かなりヤバイ内容の映画だった。 R15なので、ちょっと残酷なシーンと、ほんの僅かにエロシーンがあった。 エスターはやばかった……

続いて「クライマー パタゴニアの彼方へ」という映画。 パタゴニアにある「セロトーレ」をクライミングのフリー化するというドキュメント映画。 映画化されているけれど、まず現実があって、それを映画かしたようなもの。 出だしは1970年代、セロトーレ初登頂の回想シーンから始まる。 2人組で登ったのだが、1人とカメラが下山中に落下して死亡。 無事降りてきた1人が「登った」というだけで、一切証拠などがなく、疑惑の初登頂と言われていた。 疑惑の初登頂の当事者は数年後に70kgの、ボルトを打ち込む機械を背負い、岩壁に穴を開け、ボルトを打ちながら、そのボルトに足をかける道具をつけたりしながら、いわゆる人工登攀で山頂に立つ。 その時の証拠として、山頂の数メートル下の岩壁に、ボルトを打ち込む機械を残置してきている。 が、こんなに穴だらけにして、登ったと言えるのか?との批判がすごかった。 このルートはボルトを打つ機械にちなんで「コンプレッサルート」と呼ばれている。
時は2009年、クライミングの世界で有名な実力者「デビッド・ラマ」が、このルートに登ると表明した。
が、悪天候に見舞われて、ほとんど登れないまま撤退。 撮影部隊も同行しており、残置されているボルトの横に、新たに穴を空けて撮影を行った。 その穴が大量に。
結果としては敗退だし、70本とういボルトを新たに追加して、世間からは猛バッシングを受けた。
2年後の2011年、デビッド・ラマは再度セロトーレに挑戦する。 残置ボルトを使用し、そこにかけた器具を掴んで上っていく、いわゆるA0という方法で登る。 70年代に残置された機械の付近でロープが足りなくなり、下で命綱を支えている人も同時に登るという緊急事態に陥ったが、なんとか山頂に立つことができた。
が、残置ボルトを使用しまくったり、A0だったので、それも認められなかった。
翌年2012年、改めて自分のクライミングスタイルを見直したデビッド・ラマは、残置ボルトを一切使用せず、完全にフリー化で挑戦する。 ボルトを使用しない代わりに「クラック」と言われる岩のヒビや裂け目に、ナチュラルプロテクションという器具を差し込み、自分で命綱の支点を確保しながら登っていく。 コンプレッサルートではボルトに従ってトラバースする部分があるのだけど、そこは直登する。 その区間がかなり難しい区間のようで、落下してしまう。 クライミングの世界では落下してしまったら、途中からやり直してもそれは登ったとみなされない。 その区間を一度も落下せずに登らなくてはならない。 なので、命綱を操作している人がいる地点まで下りてきて、再度同じ区間をやりなおし、なんとかその区間を登りきる。
崖の途中で山中泊をし、翌日に山頂を目指す。 最後の機械が残置されている部分がかなり難易度が高く、岩がボロボロで安定していない。 ナチュラルプロテクションも使えず、命綱の支点が、かなり下になってしまっており、命綱を操作する人も恐怖を感じただろう、と話していた。
命綱の支点が5m下にあったとしたら、ロープの遊びが5mあるということなので、支点までの5m+遊びの5mで、計10m落下する。 その衝撃は相当なものだ。 なので、支点からかなり離れて上に登るというのはなるべく避けなくてはならない。 だが、どうしても支点が確保できなかったので、その状態で突き進む。 そして山頂に到着。 残置ボルトを1本も使用せず、完全にフリー化することができた。
実際の挑戦のシーンを撮影していて、それが映画化されているので、緊迫感がものすごい。 見ていても手に汗を握ってしまった。

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