沖縄旅行 2日目

晴れ今日は朝から一日観光する予定。 5時50分に目覚ましをセットし、6時に起きる。 シャワーを浴びて、6時半からの朝食に向かう。 朝食はバイキング。 だが、朝起きた直後で全然食欲がなく…… せっかくのバイキングなのに、すごい質素な食事になってしまった。
ホテルからの景色 ホテルからの景色 朝食

食事終わった後は観光の準備をして出発。 まずは昨日行けなかった「万座毛」へ。 ここからの夕日が見たかった。 国道をしばらく西に走り、看板に従って駐車場へ。
まだ朝早いので売店も明ける準備中だったし、観光客も1組しかいなかった。
断崖絶壁、というほどの高さはなかったけど、岩壁の下は海。 岩壁は不思議な岩でゴツゴツしていた。 たしかにここからの夕日は美しそうだった。
万座毛 万座毛 万座毛 万座毛 万座毛

そして読谷方面に移動。 昨日、ガイドさんから読谷村には、防空壕がいくつかあって、人々の明暗を分けた場所がある、と聞いて行ってみることに。
観光ガイドなどに載ってないので、インターネットでだいたいの場所を調べて向かう。
まずは「チビリガマ」。 場所がわからずだいぶ探したが、駐車場を発見し、無事到着。
防空壕の入口には石碑や千羽鶴が添えられている。
防空壕の入口には立ち入りを自粛するよう案内が。 まだ人骨が多数眠っているらしい。 この防空壕では、140人近くが避難していたようだけど、米軍に囲まれて80人ほどが自決した悲劇の防空壕らしい。
チビリガマ チビリガマ

そして、明暗を分けたもう一つの防空壕「シムクガマ」に向かう。 が、こちらは完全に場所がわからず…… 大体の場所まで行ったが、畑の中で看板なども全くないためたどり着けなかった……
こちらの防空壕は1000人近くが避難していたが、米軍に囲まれたが投降し、避難者のほとんどが助かったらしい。

近距離にある2つの防空壕。 明暗を分けたのはリーダーだったと言われている。
チビリガマのリーダーは愛国心あふれるリーダーで、米軍に捕まるのは恥だとか、そういう思想だったらしい。 で、集団自決の道を。
シムクガマのリーダーは、英語もしゃべれるしハワイにいたこともあったらしい。 日本軍の思想はおかしいと日々思っていた人らしく、米軍に囲まれた後、英語が喋れるので米軍と交渉し、民間人しかいないので、抵抗しなければ殺さず捕虜にしてくれることを確認後、全員投降となったらしい。

そんな歴史のあった防空壕を見学した。

次の目的地は海中道路。
国道を南下し、嘉手納基地の真横を通って行く。 嘉手納基地付近を走っていると、戦闘機がものすごいスピードで何機も離陸していくのが見えた。 米軍は日々、このような訓練をしているのだろうか。 沖縄ならではの光景だな。

そして、海中道路に到着。 右も左も青い海。 一直線で気持ちの良い道を走る。
途中にパーキングエリアみたいなのがあったので、そこに止まって歩いて写真を撮りに行ってきた。 こんな道路があるとは、綺麗だなぁ。
海中道路 海中道路 海中道路 海中道路 サーターアンダギー シナモンのお菓子

橋を渡りきったが、この先は何も無さそうなので引き返してきた。
次は「勝連城跡」。 これも昨日見に行った城跡みたいなもの。

緑に覆われた中、突如現れる巨大な城。 壮大だなぁ。
西洋を思い浮かばせる光景。 戦国時代でも、琉球王国でも、城は山の上に作るのが一般的なんだね。
この勝連城、あの有名な首里城に攻め込もうとし、戦に敗れ敗城になったと、書いてあった。
城の上からは綺麗な景色が見えた。
勝連城跡 勝連城跡 勝連城跡 勝連城跡 勝連城跡 勝連城跡 勝連城跡より 勝連城跡より 勝連城跡より 勝連城跡より 勝連城跡より 勝連城跡 勝連城跡

次はようやく、那覇方面まで移動する。 ちょっと距離があるので、高速道路で。
喜舎場SICという、ETC専用のスマートICから高速に乗る。 那覇方面のみに行けるよう。
終点の「豊見城・名嘉地」まで高速で。 次のスポットは「旧海軍司令部壕」、ここは整備された旧日本海軍の防空壕。
位のある者の部屋とか、作戦室や発電室などが残されていた。
上から、撤退しろ、と命令が出ていたのだけど、攻め込まれすぎ撤退することができず、なりゆきに任せることになった。
上官は、沖縄人がいかに戦争で活躍したか、の電報を打った後、手榴弾で自決したらしい。 手榴弾の破片の跡が残る部屋があった。
旧海軍司令部壕 旧海軍司令部壕 旧海軍司令部壕 旧海軍司令部壕 旧海軍司令部壕 旧海軍司令部壕

時刻は13時くらい。 そろそろお昼を食べなくては。 お昼はやっぱり沖縄そばかな。
次の目的地は、ひめゆりの塔方面なので、そちらに向かって走る途中にあったお店にはいる。 「よね食堂」というお店。
定番の「沖縄そば」と「ゴーヤチャンプルー」を注文。 かなり量が多くお腹がいっぱいだった。
沖縄そばに入っている角煮みたいなやつが、量が多くて手ごわかった。 めちゃめちゃ柔らかかったけど。
沖縄そばとゴーやチャンプルー

そして次の目的地「糸洲の壕」へ。 これも場所がよくわからず、結構さまよった。
国道脇に駐車し、徒歩で向かう。 向かう途中で、軽トラックが畑の肥料らしき肥やしを派手にぶちまけていて、重機で一生懸命処理していた。 付近はめちゃめちゃ臭かった……
糸洲の壕への道、普通の畑道。 こんなところに下りていくのか?というような階段を下りていく。
しかし、壕へ降りていく階段には伐採された木々が倒れており階段がふさがれている。 木々を乗り越えて進んでいくが、サンダルだし、毛虫とかでかいクモもいるし、近くまで行くことはできなかった……
糸洲の壕 糸洲の壕 糸洲の壕 糸洲の壕 糸洲の壕 糸洲の壕

さて、次は有名な「ひめゆりの塔」。
ひめゆりと呼ばれていた学生たちが、本土決戦に巻き込まれていった場所。 ここにも防空壕があり、ここで多数のひめゆりが死んでいる。
戦争に動員されてから、死者が増えていった。 が、突然の解散宣言。 あとは自分の判断で逃げるなり戦ったりするように、と無責任に放棄され、それ以降、死者が激増した。 けっか240名くらいいる中の120名くらいが死亡してしまった。
映画にもなった激戦地、今ここには慰霊の塔と、当時の記憶を消し去らないようにするための資料館が出来ている。

資料館には、無くなってしまった全員の氏名と、9割近くの人の顔写真が張り出されている。
当時の日記などもあり、生々しさが伝わってくる。 生存者の証言という記録も残されており、高齢化するひめゆりの貴重な歴史の経験を後世に残す努力がされている。
ひめゆりの塔 ひめゆりの塔 ひめゆりの塔 ひめゆりの塔

その後は、関連で平和祈念公園へ。 ここには沖縄本土決戦の戦没者20万人以上の名前が刻まれた石碑がある。
親族の名前が刻まれた石碑を探し、花を手向ける人々もいた。 今でも慰霊祭などが行われる巨大な広場などがあり、戦争の形こそ消えてしまっているが、戦争の歴史は残っている場所なのだと思う。
平和祈念公園 平和祈念公園 平和祈念公園 平和祈念公園 平和祈念公園 平和祈念公園 平和祈念公園 平和祈念公園 平和祈念公園 平和祈念公園より

次に向かったのは、世界遺産「斎場御嶽」。
様々な儀式が行われていたらしい。 ここにも戦争の跡が残っており、砲弾を受けた穴が残っていた。
斎場御嶽 斎場御嶽 斎場御嶽 斎場御嶽 紫のヤドカリ 斎場御嶽 斎場御嶽 斎場御嶽 斎場御嶽

最後に、首里城へ。
向かう途中、コンビニで「森永ヨーゴ」というドリンクを購入。 地元のFMでやっていたのだけど、これ沖縄にしか売ってないらしい。
森永ヨーゴ

途中、渋滞に巻き込まれながら首里城の駐車場に到着。
首里城では、地元のおじさんっぽい人が説明をしてくれた。
首里城は戦争でほとんど壊れてしまい、99%が復元。 残っているのは水が出てくる部分と、博物館に保存されている鐘だけだって。
入場口に行ったのが18時23分で、最終入場が18時半だったので、かなりギリギリだったな。
首里城 首里城 首里城 首里城 首里城 首里城 首里城 首里城 首里城 首里城 首里城 首里城 首里城

建物の中はけっこう撮影禁止の場所が多かった。 当時の書面や器などがあった。 閉場間際の首里城はかなり空いており、けっこう快適に見学することができた。
首里城 首里城 首里城 首里城の中の説明 首里城の中の説明 首里城 首里城 首里城 首里城 首里城 首里城 首里城 首里城 首里城

朝から夕方までずっと観光していたが、これからは那覇のメインストリート、国際通りに向かう。 会社の別グループがいるみたいなので、合流しようか。 近隣のコインパーキングに駐車し、「ライラ」という民族音楽を聴きながらご飯を食べるお店に入る。
石垣島出身のアーティストが三線やギターを弾きながら歌っていた。
ミミガー 沖縄音楽食堂ライラ

その後はお腹いっぱいだけど、タコライスを食べお土産を購入した。
那覇の夜の町に遊びに行く組み、ホテルに帰る組みに分かれた。
タコライス

帰りは高速一っ走り。 沖縄の高速道路は淡路島並みに真っ暗だった。
レンタカーはガソリン満タンで返さないといけないので、高速下りた後はいったん名護方面へ。 セルフの給油所があったので、そこで給油。
沖縄ってガソリン激安なのか? レギュラー1L124円だった。

ホテルに戻ってからは、今日も部屋飲み。
営業兄弟の部屋で飲んでいたが、とても眠く…… 1時半くらいに部屋に戻り、風呂に入ってから寝ようと思い湯船につかっていたらそのまま寝てしまい…… 目が覚めたら2時半くらい。 体はめちゃめちゃ暑いし眠いし……

寝間着に着替えてベッドに移動して就寝。