秋芳洞・大津島観光

晴れ朝は7時50分くらいに起床。 昨夜はぐっすり寝ることができた。 ホテルの部屋は肌寒くて、エアコンを32度に設定して動かしているので乾燥が心配だった。 加湿器はないので、バスタオルをかなり濡らした状態でイスにかけて、エアコンの下の方に置いておいたのだけど、朝起きたら完全に乾いていた。 これだけの水分が蒸発しているので加湿器代わりにはなっただろうか?
朝ごはんのバイキングも昨日と同じ感じのメニュー。 今日は食後のお腹の状態とか気にしないでいいので、納豆とかヨーグルトとかも食べてしまった。 いろいろな漬物があったけど、大根の酒味噌漬けみたいなやつと、小梅が美味しかった。
朝ごはん

ホテルは9時過ぎにチェックアウト。 今日は1日山口県を観光する。 山口県っていうと広いのだけど、日本海側や下関の方は遠すぎて無理なので、山口市付近と、そこから東にかけて観光する。 広島県と隣接している岩国は遠いのと、以前に行ったことがあるので今回はパス。
まず、この付近でのスポットというと、有名な鍾乳洞「秋芳洞」だ。 以前家族で萩に旅行に行った時、行く予定だったのだけど、行けなかった所。
日本三大鍾乳洞は岩手の龍泉洞、山口の秋芳洞、高知の龍河洞だ。 龍泉洞も龍河洞も行ったことがあるので、秋芳洞に行けば、日本三大鍾乳洞を制覇することになる。
秋芳洞までは塩江街道のような道を、ひたすら山間部に向かって走っていく感じだった。 平日のためか道路はガラガラで30分ほどで到着。 付近には駐車場がいっぱいあったが、平日のためかどこも閉まっていて、市が運営しているであろう1日500円のところに止めることになった。 駐車場から秋芳洞入口までは500mくらい。 途中商店街を200mくらいあるくのだけど、シャッター街と化していた。 お土産物屋っぽい店なのだけど、土日祝日は賑わっているのだろうか……
商店街

入場料1,300円を払って秋芳洞へ。 秋芳洞の中は結構薄暗い。 温度は通年17度で夏は涼しく、冬は温かいと案内されていた。
写真で見たことのある景観が次々と出てくるのと、日英中韓でのアナウンスもあるので、鍾乳洞のことを理解しやすい。 全体的に狭い箇所はなく、かなり開けていた。 秋芳洞は全長10kmくらいあって、一般に開放されているのは1kmくらい。 だけど、2年くらい前にまだ発見されていない空間が発見され、それの調査を行っていると、EテレのサイエンスZEROで紹介されているのを見たことがある。 洞窟の天井付近に巨大な空間があるのだけど、下からはそこまでたどり着くことができない。 なので、上に抜ける場所がないか、発煙筒みたいなものを炊いて、地上にいる部隊が地面から煙が出ている場所がないか探して、地上から侵入していく、というような感じだった。 未踏の大洞窟は完全なアドベンチャーで、その放送では数時間奥に向かって進んでいったけど、結局ロープが足りず撤退となってしまった。
そんな大自然と歴史を感じられる秋芳洞を満喫して、反対側の黒谷口から外に出て、山の道路を20分くらいかけて歩いて戻ってきた。
秋芳洞 秋芳洞

次は徳山市まで移動する。 高速道路で1時間くらいで到着。 まずはお昼ごはんを駅前の喫茶店「亜珈」でミートスパゲティーセットを食べた。 途中で中国人が来店して英語で喋っていたが、店の人に全然通じず苦労していた。 ちょっとだけその中国人と話したのだけど、日本に来たのは2回目で、先月も徳山に来たらしい。 日本に来た目的を話してくれたのだけど、何を言っているのか全然聞き取れなかったが仕事の出張で来たわけではない、ということはわかった。 自分が知っている数少ない中国語「さようなら」という意味の「Have a good trip. ザイジェン」と挨拶して喫茶店を出てきた。
亜珈 お昼ごはん

次は目の前のフェリー乗り場から大津島という島にフェリーで渡る。 山口県の観光名所を調べていたのだけど、思っていたより名所が全然見つからず、大津島という島に「回天記念館」という、戦争時代の人間特攻魚雷の記念館があると知って、行こうかどうか考えていた。 名前の通り「大津島」という徳山港からフェリーで35分くらいの島に記念館はあるのだけど、島なので、こういうチャンスに行かないと、おそらく二度と訪れるチャンスはないな、と思って行くことにしたのだ。 本州にあるなら行く可能性はあるが、島となると敷居が一気に上がるので。
フェリーは片道720円。 時間を予め調べておいたので、先に喫茶店に行けるように時間配分をしていた。 13時10分発のフェリーに乗って、いざ大津島へ。 フェリーに乗るのは久しぶりなのでワクワクするな。 結構早くて、今日は暖かい一日なのだけど、風が冷たかった。
フェリー デッキ

35分で大津島の「馬島港」に到着した。 「ましま」と読むのかと思ったら「うましま」と読むらしい。 そこから徒歩10分くらいで記念館に到着するのだけど、途中、小学校裏の坂道を上っていくのだけど、そこがずっとコンクリート塀に覆われていた。 戦争時代、この小学校は工場などがあって、民間人から中の様子が見えないように、一帯をコンクリート塀で囲っていたらしい。 その時の塀が今でも残っていると書かれていた。
大津島 塀 小学校

回天記念館どころか、大津島にこの時間のフェリーで来た観光客は自分1人だけのようで、回天記念館をゆっくりと堪能できた。 ただ記念館は結構狭く、幅20mくらいの建物を展示物を見ながらぐるりと一周するだけたった。
戦争時代に窮地に立たされた日本軍は、何か敵の意表をつくような攻撃がないだろうか模索していた。 で、魚雷の中に人間が入って操縦し、敵の艦隊に突っ込む、神風特攻隊の魚雷版を開発したのだった。
出撃して敵の艦隊に突っ込んだら爆発して戦士、艦隊に見つかって迎撃されたら戦死、仮に艦隊にぶつかれず外れても溺死か窒息死、というような感じで、死が確実な特攻攻撃だ。
母国のために、その攻撃作戦に志願した若者が1375名。 死の特攻のために、日々訓練を重ねていく、という気が狂っているようなエピソードが書かれていた。 「国のために死ぬ」なんて今の時代では全く考えることができないけれど、当時はそれが当たり前で美学だったというから恐ろしい。 回天記念館見学後は、近くに魚雷見張所とか、訓練所跡があったので、見に行ってきた。
回天記念館 魚雷見張所 訓練所へのトンネル 訓練所跡

帰りのフェリーは16時40分。 帰りはデッキには出ず、船内の席でウトウトしていたら、あっという間に徳山港に到着した。
さて、これから香川まで、長いドライブをしなくてはならない。 徳山東ICから高速道路に乗って、ひたすら高松を目指す。 途中、岩国付近で工事渋滞が2kmほどあったが、香川に住んでいると高速道路が渋滞することなんてほぼないので…… 宮島SAで夕飯を食べようかな、小谷SAで夕飯を食べようかな、と思いながら福山SAまで来ることができた。 夕飯を食べるタイミングはなるべく香川寄りにしたかったので、福山までこれたのは良かった。 SAでラーメンを食べたが、SAでのご飯はラーメンばかりだな……
夜ご飯

食後でも眠くならずに無事香川まで帰ってくることができた。 山口往復+観光で730kmくらいの2泊3日の防府読売マラソン遠征が終わった。
観光を捨てれば、往復新幹線や高速バスという手段もあるのだけど、そうなると駅周辺しか行くことができないので、今回みたいに秋芳洞に行くのは非常に大変だろう。 来年も出る資格は持っているが、今の所どうするかは考え中。